文責:北川 拓也

「IT(Information Technology)とHN(Human Network)」



僕がHCAP(Harvard College Asia Project)の東京プログラムによって、達成したい目標は「人をつなげること」(Human Network)である。これはどんな学生プログラムも主張することであるし、面白みのない目標のように思える。しかしこのことこそが、この時代にもっとも必要とされていることであることを議論する。

人をつなげることが何故そんなにも大切なのか。

一つは「きづく」ためである。学生時代に多様な人に会うことで、人は価値観をかえ、生き方を変える。これは何にも変えがたい、貴重な体験であることは、言うまでもないことである。僕らはその「きづき」を糧に人間として豊かになり、優しくなり、そしてやる気を出して物事を成し遂げていく。もちろんこの「きづき」は人に出会うことでしか得られないものもあるが、そうでないものもある。例えば学問を学ぶことで「きづく」人もいるかもしれない。今の僕はこの「きづき」の積み重なりによってできているといっても過言ではないと思う。簡単に言えばやる気の源泉、それがきづきである。

このような「きづき」が得られる機会は日本の学生には少ないように感じる。友達と喋っていればそれできづけるのか、といえばそうではない。「きづき」は人間が自分の一番大切にしているものを人前にさらけ出し、相手の言葉を真剣に捕らえなければ起こらない。HCAPは三つの意味でそのような機会を作り出す。一つは日本の学生が多大な努力と資金を費やし、一週間というプログラムを作り上げることで、その一週間に賭けているものを大きくし、より真剣にその一週間の体験を捕らえさせる。二つ目に、ハーバード生にとって、日本という異国の地において人と出会うことで、いつもとは違う体験をする心の準備をさせる。留学とは言葉の通じない土地で、より精神的にも社会的にも弱くなった自分を見つめなおし、価値観を変える、人生の見方を変える体験のことをさす。日本人にとっても、慣れない言語によってコミュニケートすることで、より自分の発する言葉というものを真剣に捕らえ、人とのコミュニケーションというものをより大切にするようになる。三つ目に、全く興味の異なる人間が一週間も一緒に過ごし、人間関係を築く機会を与える。これは大学生ならではの体験である。大学院や会社においては価値観の似通った人間としか接しないことも多いと、ハーバード大学院の学生何人かから聞いた。価値観の違いを超え、仲良くなることできづく機会が増える。

二つ目に「目標を実行に移すため」である。夢のある学生はみな、自分の中に何かしら成し遂げたいことを抱えて生きている。しかし、夢がおっきければ大きいほど、自分一人で成し遂げることは不可能になる。この事実は誰もが知っている。知ってはいるけれども、そのような夢を成し遂げる上で協力できるような友達を見つけることができない学生が沢山いる。しかし、国際化の進む現代において、社会の抱える問題、個人の抱える夢というのはより規模の大きなものになっていく。ITが進み、情報がインターネットで大量に流れ、海外に出たことのない日本人でも国際的な問題を解決してやろうという野望を抱く人間も少なくない。情報、アイディアという面では個人がより大きなもの、より質の高いものを持つようになってきたのにもかかわらず、それらを実行に移すツールが発達していない。アイディアを生み出し、流通させるのがInformation Technology (IT)であれば、それを実行に移すのはHuman Network (HN)であり、次の時代(ポストモダン)における課題は、いかにこのHNを社会のインフラとして整備できるか、である。HCAPは国際的なHN構築の第一歩である。

現代における人が求めているのはアイディアを実行に移すためのHNだけではない。日本においてもアメリカにおいても、人がつながりを求めていることはfacebook, mixiというインターネットSNSからも容易に読み取れる。Harvard の学生が立ち上げたfacebookというウェブサイトは、mixiと同じように、人と人をつなげるSNS(Social Networking Service)である。このSNSは大学ごとにコミュニティーを作成し、大学のメールアドレスを所持していないと登録できないようにすることで学生の間での人気を集めた。いまやHarvard の学生でfacebookに登録していない者はいないのではないかといわれるほど、学生生活の一部に取り込まれている。また日本においてもmixiの人気は明らかである。もちろん、インターネットの特質(気軽にアクセスできる、人と顔をあわせなくてもコミュニケートできる、文字だけの方が本音を言いやすい、等)がSNSやブログといったものを流行らせた、ということはあるだろうが、そこには人とのつながりを必死に求める現代人の本質が現れている。

そのような現代人の人とつながる欲求は様々な形で社会に現れる。例えば日本人がサッカー日本代表の試合を観戦する時に見せる「プチナショナリズム」がその例である。日本という人種、国籍が一様な国家において、人とのつながりを「国」というコミュニティーにおいて感じるというのはごく自然なことである。これはもちろん、決して新しいことではない。近代から第二次世界大戦までにもっとも影響力を持った、大きなコミュニティーの一つは「国家」であった。愛国主義は共産主義、民主主義と並び、人をつなげる大きな役目を担った。この愛国主義が現代の日本人に表れてきた理由は「リバウンド」である。戦後、日本人の若者の多くはアメリカに憧れを抱き、日本に対し嫌悪感を抱くことも多かった。しかし現代において、その流れが変わり(海外で活躍する日本人、例えばイチローや中田の影響もあってか)、むしろ日本にもいいところがあるじゃないか、もっと日本をおもしろくしようよ、という潮流が強くなってきた。この潮流は「petit-nationalism」というよりは「petit-patriotism」である。つまり、「わが国NO.1!」というよりは「自分の国をおもしろくしようよ」ということなのではないかと思う。

このような人とのつながりを求めるのはアメリカから出てきた個人主義、そして学問全体に見られる価値の相対化に理由があるように感じる。つまり、アメリカ文化に影響された国においては共通する意識なのではないか。情報があふれかえる現代において、各個人が様々な興味を持ち、より人の興味が多岐にわたるようになった。その中で、自分が幸福になることを一番大切とする個人主義の考えが蔓延した結果、人々はより精神的に隣人から離れていくことになった。また価値の多様化、相対化、教育レベルの高度化が、個人が他人のことを理解することをより難しくし、あえて他人と踏みこんだ人間関係を築こうとすることを阻むのである。その結果、人とつながりを感じることがより難しくなった。しかし人間は人とのつながりを本能から求める存在である。その問題解決としてでてきたのが上に上げたインターネットSNS、「プチナショナリズム」なのである。つまり、人々はインターネットで、自分と興味の似通った人間とつながり、あくまで自分が選んだ人間とだけコミュニケーションをすることを選んだ。また一方で、人々は、もっと大きな枠組みで、人と意見の行き違いが起きずにつながれる場所、例えば日本、アメリカにおける愛国主義、を利用して人とつながりを求めている。

現代におけるHNの構築、というものを考える上で、われわれは上記のような問題をよく考慮する必要がある。SNSにせよ、愛国主義にせよ、コミュニティーが成立する上で大切なのは、コミュニティー内で共通意識を持てる、ということである。これらの共通意識が生まれる源泉は、大きく分けて三つ存在する。それらは、国を共有すること、興味を共有すること、そして目標を共有すること、である。僕は、この現代において形成されるコミュニティーの共通意識は愛国主義ではなく、目標を共有することからでてくるものであるべきと考える。世界における問題は日々大きくなってきており、ある国の人間がその国だけにとどまり、その国に存在する人材、リソースだけを利用して解決できる問題は限られている。反面、個人の価値観は多様であるが、ある目標を達成したいという思いは国境を越えて共有することができる。幸か不幸か、英語という言語が多くの知識階級に利用される時代が来た今だからこそ、HNは世界で構築することが可能になった。また、興味が多岐に渡る現代において、興味、価値観を一様とするコミュニティーを形成するのは難しい上、そのようなコミュニティーでは独創的な解決策、アイディアが生まれにくい。

いくら目標単位のコミュニティーが理想的だといっても、夢物語のように聞こえるかもしれない。しかしこれはITの発達により遥かに簡単になった。SNSに現れているようにITは興味単位のコミュニティーを促進する。ユビキタス社会ができてきた現代において、世界の遥か遠くにいる人間を身近に感じることができる。このITをうまく利用すれば、目標単位のHN構築を行うことができる。ただITだけでは目標単位のHNを構築することは難しい。人がHNを構築する際に、一度でも顔を合わせていることとても大事である。逆に、僕の経験では、たった一週間、もしくはたった一回の出会いだけで、あとはITの助けを借りれば「目標を行動に移すHN」というのは構築可能である。

つまり難しいのは、興味、価値観が異なる人間をどうやって会わせるか、ということである。HN構築の難しさは、一度HNができ始めれば、まさに指数関数的にHNは拡張するのにもかかわらず、それを作り始めることが難しい、というところにある。

僕はHN構築の鍵を「学校」というものに見出した。つまり、大学というのはある程度価値観が出来上がり、知識も持ち、実行能力もある人間が一同に会し、まったく違った価値観を持っているのにもかかわらず、四年間毎日のように顔をあわせてHNを構築する場所である。大学の卒業生に聞けば、彼らの財産は、大学在学中に作った友達だという。まさに大学という場所はHN構築の理想的な形態をとっている。もちろん、大学がこのような場所を提供することを可能とする要素は沢山あり、一般に適応できるものではないが、その中で僕らはソフトパワーという側面に注目する。ソフトパワーとはハードパワーと対をなすもので、ハードパワーが軍事力や金銭といった、「人の行動を強制によって変えることができる力」であるのに対し、ソフトパワーはアメリカにおけるハリウッドや日本における漫画のように「人に憧れを抱かせ、その人の欲しいものを自ら変えさせる力」である(ジョセフ・ナイの提唱した言葉)。つまり、ハーバードや東京大学といった大学は、極めて才能に秀でた人材を、それらの大学のもつソフトパワー(教育がよい、研究が面白い、等)を使ってリクルートする。だからこそこれらの大学はHN構築の最高の場所たりうるわけである。

HCAPはまさに日本という国がもつソフトパワーと東京大学という名前のもつソフトパワー、そしてHCAPを行う生徒のやる気がもつソフトパワーによって、ハーバードの学生を呼び、興味、価値観が違うのにもかかわらず、HN構築を可能とする。大学のように、馬鹿なことも賢いことも一緒にやり、一週間を濃く、真剣に味わうことが、このHN構築には欠かせない。目標を行動に移すことができるようなHN構築は、学問的なことを賢く話すだけではできないことは、大学生活を送ったことがある人間なら知っている。このHCAPの活動を毎年行い、アラムナイをつくり、同窓会を開くことで、この中から将来、目標単位のコミュニティーができることは必至である。上に述べたHN構築の考えこそがこのプログラムの大きな特徴であり、日本が、ポストモダンの社会がこのようなプログラムを必要としている。

このHCAPで構築されるHNは限りなく拡大する可能性を秘めている。まず第一に、ハーバードの側では、僕も所属している Japan Society(学部の日本人会)がこのプログラムをサポートする。このJSは大学院における日本人会(Kennedy school of government, Business school, law school, faculty of arts and science, U.S.-Japan relation,etc)と協力し、日本人がハーバードに来た時、交流をする。さらにHCAPをサポートしてくれる大人の方々を通じて人脈を広げることもできる。これら全ての事象は、現在が、ハーバードの人材、つまりアメリカの中枢を占める人材と日本の将来を握る人材との交流が始まる臨界点であることを示している。今までの日本人は大学院から来る人間も多く、アメリカ社会の中枢には入り込めていなかった。これから、僕のように日本の高校を卒業し、ハーバードのような大学に直接行く人材が増えると同時に、ハーバード(学部)を卒業した日本人との交流が増え、ますます日本とアメリカの距離が近くなる。ありとあらゆる人種が集まる社会アメリカを介して、他の国々との交流が深まる日は近いはずである。

上に述べた、人とつながることで得られる、「きづくこと」と「目標を行動に移せるHNを構築すること」はHCAPの目的である。しかし同時に僕はこれらこそが教育のなすべきこと、教育が目標とするところのもの、であると考える。つまり、HCAP東京プログラムとは教育の一つの、そしてもっとも大切な側面を具体的なプログラムとして提案するものである。今回、HCAPでは教育をトピックとして様々な側面から「教育のあるべき姿」についてディスカッションする。より具体的なトピックについてディスカッションし、僕が上に提唱したアイディアについての考察を深めることができる。大切なのは、HCAPはそのアイディアを提唱するのみならず、実践に移すものである、という点だ。アイディアの流通はITの発達によって完成された。今はHNによってアイディアを実行に移す時代なのである。

(2006年11月)

Harvard College in Asia Project 企画趣意書